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TVアニメ2023年のまとめ3

2023年第3四半期のアニメのまとめ

ラブコメでは、ホリミヤ -piece-、夢見る男子は現実主義者、好きな子がめがねを忘れた当たりが良かった。ホリミヤは既に2クール放映しているが、原作で消化されていない部分を描いていた。夢見る男子は現実主義者は設定がそれなりに凝っているラブコメで原作はライトノベル。ツンデレ系の話だが、上手く構成されていた。好きな子がめがねを忘れたは、オーソドックスな話ではあるが、これも上手くまとまっていた。ゲームが原作の物としては、BanG Dream! It's MyGO!!!!!は、今回はバンド物でもごちゃごちゃした人間関係の話で、展開は面白かったし、クオリティーも高かった。ライザのアトリエ ~常闇の女王と秘密の隠れ家~もクオリティーは高く、話は丁寧に作られていた。幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-はスピンオフだが、これもクオリティ―は高く、上手くまとまっていた。ウェブ小説系は
自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨うが、設定が面白く、楽しめた。デキる猫は今日も憂鬱は女性向けのコメディーだが、猫のもふもふ感は良く描けていた。
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TVアニメ2023年のまとめ2

2023年第2四半期のアニメのまとめ

ラブコメでは、山田くんとLv999の恋をするとスキップとローファーが良かった。ただ、これ、両方とも登場する高校が相当な進学校なのは偶然なのか、何なのかという感じもするけど、かなりリアルに描かれていたような。コミックが原作では、天国大魔境と推しの子は両方とも、ストーリー展開が気になるという点はよく出来ていた。他には私の百合はお仕事です!もある種のラブコメではあるが、ストーリー主導の展開は面白かった。ライトノベル原作ではこの素晴らしい世界に爆焔を!がコメディーとしてはよく出来ていた。ウェブ小説原作では彼女が公爵邸に行った理由はウェブ小説と言っても韓国なのであるが、ほぼ日本の物と同じタイプの話で驚いた。出来もかなりよかった。ゲームが原作の物としては、アイドルマスター シンデレラガールズ U149はクオリティーが高かった。BIRDIE WING -Golf Girls' Story- Season 2もかなりトンチキな話ではあるが、ゴルフ物としては面白かった。絆のアリルも実は予算が多いようで、ライブシーンのクオリティは高い。



 






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TVアニメ2023年のまとめ1

第二弾はテレビアニメのまとめである。こちらは、クール毎に良かった物や何か気になった物をいくつか挙げていくという方法にする。

2023年第1四半期
ラブコメでは、トモちゃんは女の子!、久保さんは僕を許さない、イジらないで、長瀞さん 2nd Attackが良かった。どれもヒロインの名前がタイトルに入っているけど、比較的似たようなタイプの話でもある。ライトノベル原作では、冰剣の魔術師が世界を統べるは、比較的古いタイプの学園物であるけれども、割とウェブ小説系に似たところもある。ただ、絵のクオリティは今一でその点は残念だった。シュガーアップル・フェアリーテイルもライトノベル原作だが、女性向け。分割2クールで、クオリティーも高かった。ウェブ小説系は、英雄王、武を極めるため転生す ~そして、世界最強の見習い騎士♀~、最強陰陽師の異世界転生記はどちらもこの手の話としては上手くまとまっていた。ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さんもウェブ小説原作だが、こちらは女性向け。悪役令嬢物ではあるが、ゲームの世界の外から実況と解説だけでなく、アドバイスして展開を変えるという設定で面白かった。お兄ちゃんはおしまい!は、設定だけでなく、クオリティも高かった。

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劇場版アニメ(2023)

ツイッターもどうなるか分からないし、感想系は長文の書けるブログに少し書こうかということで、まとめ系の記事をいくつか書くことにした。というわけで、第一弾は2023年に見た劇場版アニメのまとめである。

見たのは、グリッドマン、プリンセス・プリンシパル3章、PSYCHO-PASS、青ブタ2本、ラブライブ虹ヶ咲、ユーフォ特別編、ガルパン4話、はめフラ、SPY×FAMILYと10本も見たが、随分多い。見逃したのは駒田蒸留所と攻殻機動隊くらいである。

グリッドマン ユニバース
2シリーズのコラボという内容だったが、話としては上手くまとまっていて、楽しめた。テレビだと、日常的な描写も結構あったのだが、劇場だと、アクションメインになってしまうのは仕方ないか。

プリンセス・プリンシパル3章
起承転結の転という感じの構成で、中々酷いところで終わっている。スパイ物、あるいは国際謀略物としてはかなり面白い。

PSYCHO-PASS PROVIDENCE
第3期の前の話であるが、話としてはこの順番でやるのは意味があるというか、実質的に話が終わっているような面もある。10年ちょっと前からの話ではあるが、AIが話の中心ではあるが、最近のAIの発展によってもあまり影響を受けない話にしていた点は興味深い。

青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない
青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない
シスターの方は妹の話だが、ランドセルガールの方は家族の話だった。どちらも上手く話はまとまっているのだが、やや重苦しい面はある。続きは大学生編だが、期待できそうである。

響け!ユーフォニアム~アンサンブル・コンテスト
コンテストと言っても、緊張感がそれほどある話ではないので、その意味では気楽に楽しめた。

ガールズ&パンツァー最終章第4話
今回は舞台設定が面白く、最後までどうなるのか分からない展開が良かった。

乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった
雰囲気などは本編と変わるわけではないが、本編後の話。展開はそこそこ意表を突くものではあったが、上手くまとまっていた。

SPY×FAMILY
いつもとは違うところに旅行する話だが、本編でも最後の方は豪華旅客客船編だったので、その意味では割と似たような話だったか。とはいえ、それなりに楽しめた。

2024年は昨年よりは本数自体も少ない感じではあるが、少なくとも4,5本以上は見るだろう。

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冬コミのお知らせ(2023) [同人活動]

冬コミは委託参加のみです。
場所は
12/31(日) 東 V-13a G Storm
となります。

今回の内容は(アニメ化された)ウェブ小説で、ゲストの原稿はBanG Dream! It's MyGO!!!!!です。いつも通り、評論のテキストのみのコピー誌です。


タグ:同人活動
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夏コミのお知らせ2023 [同人活動]

今回のコミックマーケット102ではサークル参加します。

場所は
8/12(土) 東ナ41a A-TYPHOON
8/13(日) 西か04a G Storm 委託

今回もアニメを中心とした評論で、テキストのみのコピー誌となります。内容は、『映画 ゆるキャン△』、『サクラクエスト』で、ゲストの原稿が『ブラック★★ロックシューター DAWN FALL』と『ぼっち・ざ・ろっく!』となります。

前回の本の内容は、
https://maxim.blog.ss-blog.jp/2022-12-29

それ以前の本の内容は、
https://maxim.blog.ss-blog.jp/2021-01-09
となります。
タグ:同人活動
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冬コミのお知らせ2022 [同人活動]

3年ぶりにコミックマーケットに参加します。ただし、委託のみで、私自身も会場には行かない予定です。既刊の委託はありません。新刊のみとなります。

内容は、いつも通りのコピー誌で、『アキバ冥途戦争』、『異世界おじさん』、『サマータイムレンダ』、『終末のハーレム』、『恋愛フロップス』を1990年代(末)の影響を中心に考察したものとなります。ゲストの都並氏は、『バブル』と『五等分の花嫁』、『BanG Dream!』の楽曲についての二本です。

場所は
G Storm 12/31 西し-04b
となります。
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「魔道士リーリリの冒険」を読んで [同人活動]

*古いサイトからのサルベージ記事

「魔道士リーリリの冒険」を読んで

 この本は光瀬龍の久し振りの新刊「SF」である。帯には、幻想SF長編とあり、さらに「美少女魔道士・リーリリと、頼れる弟・ポンポンの、時空を越えた大活躍」と書いてある。しかし、帯に書いてあることからすると、どこがSFなのだろうかという疑問が沸いてくる。ストーリーは、第一話から第七話まで独立した話で、舞台もどこだかわからないファンタジー世界から、ニューヨーク、はては江戸まで出てくるが、SFらしい仕掛けが少し出てくるだけで、話の大枠はどちらかといえぱファンタジー調である。話そのものは面自いけれども、筋はファンタジーどしてはありがちな感じである。
 けれども、自分にとって少しショックであったのは、光瀬龍までもがファンタジーよりになってきたということである。この頃、ファンタジーが流行っているのは言うまでもないことだが、去年、アメリカでは、ファンタジーの出版点数がSFを上回ったそうであり、日本でも同様である。なぜ、SFが低調なのだろうか。まず、SFは未来を科学と関連させて描くものであるといわれている。ところが、最近のヴァーチャルリアリティーなどに代表されるハイテクが具体的な形を現しつつある現実が、SFのような未来に追い着いてきたのである。そうなるとSFとして書く必要がなくなってしまう。次に、やはり、冷戦の終結と社会主義諸国の崩壊が影響しているのではないかと思う。SFというのは、本来、未来に現実を投影したり、むしろ、現実そのものを描くものであり、その未来というのは全体主義的な社会であったため、全体主義ともいえる社会主義諸国が崩壊すると批判する対象がなくなってしまったのである。さらに、ファンタジーの方が人気があるからである。ファンタジーとSFは世界を作りあげるという点で共通点のあるジャンルであり、科学が批判され、オカルトや神秘的なものが流行る時代では、SFの旗色が悪いのも当然であろう。
 この話は全体の構造として、二元論的なエピソードを持っていて、それが「ママ」ヘと収束するという落ちで締め括られる。これは、光瀬龍も年を取って、「日本的な」一元論ヘ回帰してしまったことをあらわしているようでもある。しかし、このようなほとんど、どう読んでもファンタジーであるのを「幻想SF」として売るのはどういうことなのだろうか。ジャンル分けにこだわるつもりはないが、SF作家から急にファンタジー作家へ変身する訳には行かないのだろう。この本が決してつまらないということはないが、次作は本格的なSFを期待したいところであるが、今まで述べてきた理由により難しそうである。

クラリオン発行 '93クラリオン新歓号(1993)より

解説
 こちらは書評であるがSF論の所は「SFに未来はあるか?」とほとんど同じである。書評としては今一か。これは提携していたサークルの会誌に書いた物。このサークルも潰れたらしい。それに光瀬龍も亡くなってしまった。
タグ:サルベージ
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「SFに未来はあるか?」 [同人活動]

*古いサイトからのサルベージ記事

「SFに未来はあるか?」

近頃、SFがつまらないと言われるのをよく耳にする。果たして、本当にそうなのであろうが。確かに、l992年にアノリカではSFの出版点数よりもファン夕ジーの方が上回っていた。日本でも同様である。それでは、何故そうなってしまったのか考えてみたいと思う。
 まず、SFとは何であろうか。日本語では当然、「空想科学小説」であるから、SFとは、科学に関するフィクションと言うことになる。しかし、それだけだろうか。SFを始めた人の一人にジュール・ヴェルヌがいる。一方、やはり、SFの創始者の一人にH.G.ウエルズがいるが、その代表作である「タイムマシーン」ではタイムマシーンや科学技術の発達した未来が登場ずるが、科学や技術の発達を賛美するというよりはむしろ、それらに対して批判的であり、また、テーマは当時のイギリスの社会を「末来」に投影して描いているところにある。この「未来」というのはユートピアに似ていて非なる「反ユートビア」であり、イギリスのトマス・モアなどから続く「ユートピア」論の伝統に則ったものである。だから、現在のSFとは、何らかの形で科学技術が登場し、それなりに重要な役割を果たしているという共通項で括られるものであろう。
 ここで、第一にSFが振るわなくなった理由として考えられるのは、冷戦体制の崩壊、あるいは共産主義諸国の崩壌である。というのは、例えぱ、ジョージ・オーウェルの(1984)などのように、当時のスターリン的な体制を投影して批判するタイプのSFが主流派であったが、攻撃すべき対象が消滅したのと、そういったものの書き手が心情的には社会主義に近かったので社会主義の衰退によってダメージを受けたからである。つまり、現実の社会のファシズム、あるいは管理主義的な部分を共産主義諧国の抑圧的体制を反面教師とし、またそれと重ね合わせながら「未来」に投影して描いていたのである。しかし、ベルリンの壁の崩壊により、自由主義の勝利というディスクールが広く行き渡り、管理主義的な体制への恐れは消滅し、そういったSFへの需要も減少したのである。
 次に、これと関連している理由であるが、「大きな物語」の終焉というのも挙げられよう。この「大きな物語」の終焉というのは、1980年代の前半にリオ夕ールが「ボストモグンの条件」という本で展開したが、近年の相次ぐ民族紛争やイスラム原理主義の拡大、インドの激化する宗教紛争などによって「大きな物語」は消滅などしていないと批判された。だが、この批判は必ずしも当たっているとは思えない。何故なら、確かに民族、宗教というのは古くからある「大きな物語」であって、冷戦体制の陰に隠れていただけであり、この民族や宗教といった「物語」は実際には小さな、局所的な事柄の集合といった面も大きいからである。
 第三に現実の科学技術がSFに追い付こうとしている現状が挙げられよう。かつては、SFにおける未来の科学技術はまさに空想上の産物であったが、近年の科学技術の発達は過去のSFにおける技術を現実のものとしてしまった。例えば、ヴァーチャルリアリティー、バイオテクノロジー、マイクロマシーンなどはSFと現実とを混同させかねないような技術であり、SFから末来性を奪ってしまった。
 第四に科学技術への不信もあるだろう。SFには科学枝術を賛美するものでも、あるいは逆に批判するものでも科学技術への多大な関心が背後に存在していたが、この頃では不信だけでなく、あまりにも科学技術が日常的なものになってしまったので無関心になるという事態が発生していがらである。また、科学技術への不信と同時に、オカルティックなもの、超自然的なものへの関心の高まりによってファン タジーが流行するようになったのも原因の一つであろう。
 さらにSFは翻訳が中心、またはかなりを占めていたが、既に明治がら続いて来た翻訳の時代がそろそろ終わりに近付いたことも影響している。実際、この二三年、 急速に出版点数の増えたファンタジーは殆ど全て、翻訳ではなく和製であるしファンタジーの流行にはテープルトークRPGの流行も影響しているが、このSFの衰退とファン夕ジーの流行はシミュレーションゲームの衰退とRPGの流行とほぼ並行しているのも興味深い現象である。
 最後に果たしてSFに未来はあるかということについて考えてみたい。以上、述べてきたとおり、SFが将来、盛んになるどいうこどは当分の間、無さそうである。だが、全く消滅することはなく、おそらく、マニアックな領域で生ぎ延びることと思われる。

SF-TAC発行 メトセトラ20(1994)より

解説
 ごく当たり前のことしか書いていない。もう少しひねりが利いていた方が面白いが、恐らく初めて書いた本格的な評論なので仕方がないであろう。


タグ:サルベージ
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「幼馴染と転校生」 [同人活動]

*So-netのサイトからのサルベージ。

「幼馴染と転校生」

 「幼馴染」と「転校生」は小説やマンガなどによく現れるモチーフである。「幼馴染」と「転校生」というのは本来的には対立するものではないかもしれないが、私にとっては充分に対立する。それは「転校」すれば「幼馴染」とは別れなけれぱならないし、「転校」を繰返せば、「幼馴染」はもはや存在しなくなるからである。
 私は今まで何度となく「転校」ばかりしてきたので「幼馴染」というモチーフが小説やマンガに登場してくるたびに、何とも羨ましくも許せない気持ちになってしまう。「幼馴染」については色々と書きたいが、私には「幼馴染」というものは存在しないのでどういうものであるか、実態がよく分からない。ただ一つ言えることは、「幼馴染」というテーマはよく小説やマンガに現れるものであるから、重要なテーマであるらしいということである。
 「転校生」というのもまた、小説やマンガに登場する。しかし、個人的経験からすると「転校生」であるということはちっとも「格好良か」ったりはしないのである。確かに「転校生」というのは「転校」すると同時にある種の特権的地位を得る。しかし、そうはいってもそれは二、三ケ月後には消えてしまう。だから、かなりたっても相手は自分の名前を知っているが、こちらは相手の名前をよく知らないということになる。「転校生」であったと言うことは結局、卒業したりするまで影響するのであり、意識していなくてもふと思い知らされたりして、やはり、いつまでたってもどこか本当には馴染めないのである。
 そうすると、「転校」するということは辛いことでしかないのだろうか。そんなことはないと私は恩う。「転校」したことにより、心理的なトラウマのようなものが大きく、耐えられないで発狂したりする場合もあるようであるが、「転校」を繰り返したりすれぱ、いい加減、人間も精神的に強くなるようである。ここで強くなるというのは何を一言われても平気になるということだけではない。恐らく、新しい環境により早く適応できるということだろう。私自身がそうなったかどうかは白分でもよくわからないが、なんとなく自信はついたような気がする。
 「幼馴染」と「転校生」は普通の人にとっては、前者は当たり前で、それほど価値がないかもしれないし、後者は珍しく、時には、憧れの対象となるものかもしれないが、そのほうが価値が高いのであろう。しかし、私のようなものにとっては、反対に、「幼馴染」の方が目分にはいないという理由で価値が高く、つい憧れてしまうのである。もちろん、私にとっては「幼馴染み」というものの実態はよくわからないが、それでも、いいなあと恩ってしまうのである。そして、「転校生」というモチーフに対しては、自分の経験からすると実態は違うんだと叫ぴたくなるのである。

 SF-TAC発行 メトセトラ18(1993)より

コメント
文芸批評と言うよりは単なるエッセイである。何でこういうのを書いたかというと小説やコミックに良く出てくる「幼馴染み」というシチュエーションが許せなかっただけであろう。後半の方は負け惜しみと言うことになろう。大学のサークルの会誌に書いた物だが、サークルの方はほとんど潰れてしまった。


タグ:サルベージ
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