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「魔道士リーリリの冒険」を読んで [同人活動]

*古いサイトからのサルベージ記事

「魔道士リーリリの冒険」を読んで

 この本は光瀬龍の久し振りの新刊「SF」である。帯には、幻想SF長編とあり、さらに「美少女魔道士・リーリリと、頼れる弟・ポンポンの、時空を越えた大活躍」と書いてある。しかし、帯に書いてあることからすると、どこがSFなのだろうかという疑問が沸いてくる。ストーリーは、第一話から第七話まで独立した話で、舞台もどこだかわからないファンタジー世界から、ニューヨーク、はては江戸まで出てくるが、SFらしい仕掛けが少し出てくるだけで、話の大枠はどちらかといえぱファンタジー調である。話そのものは面自いけれども、筋はファンタジーどしてはありがちな感じである。
 けれども、自分にとって少しショックであったのは、光瀬龍までもがファンタジーよりになってきたということである。この頃、ファンタジーが流行っているのは言うまでもないことだが、去年、アメリカでは、ファンタジーの出版点数がSFを上回ったそうであり、日本でも同様である。なぜ、SFが低調なのだろうか。まず、SFは未来を科学と関連させて描くものであるといわれている。ところが、最近のヴァーチャルリアリティーなどに代表されるハイテクが具体的な形を現しつつある現実が、SFのような未来に追い着いてきたのである。そうなるとSFとして書く必要がなくなってしまう。次に、やはり、冷戦の終結と社会主義諸国の崩壊が影響しているのではないかと思う。SFというのは、本来、未来に現実を投影したり、むしろ、現実そのものを描くものであり、その未来というのは全体主義的な社会であったため、全体主義ともいえる社会主義諸国が崩壊すると批判する対象がなくなってしまったのである。さらに、ファンタジーの方が人気があるからである。ファンタジーとSFは世界を作りあげるという点で共通点のあるジャンルであり、科学が批判され、オカルトや神秘的なものが流行る時代では、SFの旗色が悪いのも当然であろう。
 この話は全体の構造として、二元論的なエピソードを持っていて、それが「ママ」ヘと収束するという落ちで締め括られる。これは、光瀬龍も年を取って、「日本的な」一元論ヘ回帰してしまったことをあらわしているようでもある。しかし、このようなほとんど、どう読んでもファンタジーであるのを「幻想SF」として売るのはどういうことなのだろうか。ジャンル分けにこだわるつもりはないが、SF作家から急にファンタジー作家へ変身する訳には行かないのだろう。この本が決してつまらないということはないが、次作は本格的なSFを期待したいところであるが、今まで述べてきた理由により難しそうである。

クラリオン発行 '93クラリオン新歓号(1993)より

解説
 こちらは書評であるがSF論の所は「SFに未来はあるか?」とほとんど同じである。書評としては今一か。これは提携していたサークルの会誌に書いた物。このサークルも潰れたらしい。それに光瀬龍も亡くなってしまった。
タグ:サルベージ
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「SFに未来はあるか?」 [同人活動]

*古いサイトからのサルベージ記事

「SFに未来はあるか?」

近頃、SFがつまらないと言われるのをよく耳にする。果たして、本当にそうなのであろうが。確かに、l992年にアノリカではSFの出版点数よりもファン夕ジーの方が上回っていた。日本でも同様である。それでは、何故そうなってしまったのか考えてみたいと思う。
 まず、SFとは何であろうか。日本語では当然、「空想科学小説」であるから、SFとは、科学に関するフィクションと言うことになる。しかし、それだけだろうか。SFを始めた人の一人にジュール・ヴェルヌがいる。一方、やはり、SFの創始者の一人にH.G.ウエルズがいるが、その代表作である「タイムマシーン」ではタイムマシーンや科学技術の発達した未来が登場ずるが、科学や技術の発達を賛美するというよりはむしろ、それらに対して批判的であり、また、テーマは当時のイギリスの社会を「末来」に投影して描いているところにある。この「未来」というのはユートピアに似ていて非なる「反ユートビア」であり、イギリスのトマス・モアなどから続く「ユートピア」論の伝統に則ったものである。だから、現在のSFとは、何らかの形で科学技術が登場し、それなりに重要な役割を果たしているという共通項で括られるものであろう。
 ここで、第一にSFが振るわなくなった理由として考えられるのは、冷戦体制の崩壊、あるいは共産主義諸国の崩壌である。というのは、例えぱ、ジョージ・オーウェルの(1984)などのように、当時のスターリン的な体制を投影して批判するタイプのSFが主流派であったが、攻撃すべき対象が消滅したのと、そういったものの書き手が心情的には社会主義に近かったので社会主義の衰退によってダメージを受けたからである。つまり、現実の社会のファシズム、あるいは管理主義的な部分を共産主義諧国の抑圧的体制を反面教師とし、またそれと重ね合わせながら「未来」に投影して描いていたのである。しかし、ベルリンの壁の崩壊により、自由主義の勝利というディスクールが広く行き渡り、管理主義的な体制への恐れは消滅し、そういったSFへの需要も減少したのである。
 次に、これと関連している理由であるが、「大きな物語」の終焉というのも挙げられよう。この「大きな物語」の終焉というのは、1980年代の前半にリオ夕ールが「ボストモグンの条件」という本で展開したが、近年の相次ぐ民族紛争やイスラム原理主義の拡大、インドの激化する宗教紛争などによって「大きな物語」は消滅などしていないと批判された。だが、この批判は必ずしも当たっているとは思えない。何故なら、確かに民族、宗教というのは古くからある「大きな物語」であって、冷戦体制の陰に隠れていただけであり、この民族や宗教といった「物語」は実際には小さな、局所的な事柄の集合といった面も大きいからである。
 第三に現実の科学技術がSFに追い付こうとしている現状が挙げられよう。かつては、SFにおける未来の科学技術はまさに空想上の産物であったが、近年の科学技術の発達は過去のSFにおける技術を現実のものとしてしまった。例えば、ヴァーチャルリアリティー、バイオテクノロジー、マイクロマシーンなどはSFと現実とを混同させかねないような技術であり、SFから末来性を奪ってしまった。
 第四に科学技術への不信もあるだろう。SFには科学枝術を賛美するものでも、あるいは逆に批判するものでも科学技術への多大な関心が背後に存在していたが、この頃では不信だけでなく、あまりにも科学技術が日常的なものになってしまったので無関心になるという事態が発生していがらである。また、科学技術への不信と同時に、オカルティックなもの、超自然的なものへの関心の高まりによってファン タジーが流行するようになったのも原因の一つであろう。
 さらにSFは翻訳が中心、またはかなりを占めていたが、既に明治がら続いて来た翻訳の時代がそろそろ終わりに近付いたことも影響している。実際、この二三年、 急速に出版点数の増えたファンタジーは殆ど全て、翻訳ではなく和製であるしファンタジーの流行にはテープルトークRPGの流行も影響しているが、このSFの衰退とファン夕ジーの流行はシミュレーションゲームの衰退とRPGの流行とほぼ並行しているのも興味深い現象である。
 最後に果たしてSFに未来はあるかということについて考えてみたい。以上、述べてきたとおり、SFが将来、盛んになるどいうこどは当分の間、無さそうである。だが、全く消滅することはなく、おそらく、マニアックな領域で生ぎ延びることと思われる。

SF-TAC発行 メトセトラ20(1994)より

解説
 ごく当たり前のことしか書いていない。もう少しひねりが利いていた方が面白いが、恐らく初めて書いた本格的な評論なので仕方がないであろう。


タグ:サルベージ
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「幼馴染と転校生」 [同人活動]

*So-netのサイトからのサルベージ。

「幼馴染と転校生」

 「幼馴染」と「転校生」は小説やマンガなどによく現れるモチーフである。「幼馴染」と「転校生」というのは本来的には対立するものではないかもしれないが、私にとっては充分に対立する。それは「転校」すれば「幼馴染」とは別れなけれぱならないし、「転校」を繰返せば、「幼馴染」はもはや存在しなくなるからである。
 私は今まで何度となく「転校」ばかりしてきたので「幼馴染」というモチーフが小説やマンガに登場してくるたびに、何とも羨ましくも許せない気持ちになってしまう。「幼馴染」については色々と書きたいが、私には「幼馴染」というものは存在しないのでどういうものであるか、実態がよく分からない。ただ一つ言えることは、「幼馴染」というテーマはよく小説やマンガに現れるものであるから、重要なテーマであるらしいということである。
 「転校生」というのもまた、小説やマンガに登場する。しかし、個人的経験からすると「転校生」であるということはちっとも「格好良か」ったりはしないのである。確かに「転校生」というのは「転校」すると同時にある種の特権的地位を得る。しかし、そうはいってもそれは二、三ケ月後には消えてしまう。だから、かなりたっても相手は自分の名前を知っているが、こちらは相手の名前をよく知らないということになる。「転校生」であったと言うことは結局、卒業したりするまで影響するのであり、意識していなくてもふと思い知らされたりして、やはり、いつまでたってもどこか本当には馴染めないのである。
 そうすると、「転校」するということは辛いことでしかないのだろうか。そんなことはないと私は恩う。「転校」したことにより、心理的なトラウマのようなものが大きく、耐えられないで発狂したりする場合もあるようであるが、「転校」を繰り返したりすれぱ、いい加減、人間も精神的に強くなるようである。ここで強くなるというのは何を一言われても平気になるということだけではない。恐らく、新しい環境により早く適応できるということだろう。私自身がそうなったかどうかは白分でもよくわからないが、なんとなく自信はついたような気がする。
 「幼馴染」と「転校生」は普通の人にとっては、前者は当たり前で、それほど価値がないかもしれないし、後者は珍しく、時には、憧れの対象となるものかもしれないが、そのほうが価値が高いのであろう。しかし、私のようなものにとっては、反対に、「幼馴染」の方が目分にはいないという理由で価値が高く、つい憧れてしまうのである。もちろん、私にとっては「幼馴染み」というものの実態はよくわからないが、それでも、いいなあと恩ってしまうのである。そして、「転校生」というモチーフに対しては、自分の経験からすると実態は違うんだと叫ぴたくなるのである。

 SF-TAC発行 メトセトラ18(1993)より

コメント
文芸批評と言うよりは単なるエッセイである。何でこういうのを書いたかというと小説やコミックに良く出てくる「幼馴染み」というシチュエーションが許せなかっただけであろう。後半の方は負け惜しみと言うことになろう。大学のサークルの会誌に書いた物だが、サークルの方はほとんど潰れてしまった。


タグ:サルベージ
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So-netのホームページサービスの終了

So-netのホームページサービスが終了すると言うことで、古いサイトから一部の記事をサルベージ刷ることにした。PC関係は別のブログにまとめたが、ここには、同人関係を載せることにした。というのは、ここは元々本の感想を載せていたが、それも途絶えてしまい、復活させるのも面倒なので、前から、時々同人関係の記事を載せていたと言うこともある。というわけで、目次と、それ以外にいくつか書いたものは載せるつもりである。

同人活動自体も、コミケが開催できないので、しばらくはお休みになるだろうが、復活するかどうかも今のところ、未定である。
タグ:同人活動
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今まで発行したものの目次 [同人活動]

古いサイトからのサルベージの第一弾である。厳密には、20号の時の総目次にその後に発行したものを足している。

人工進化研究所紀要総目次(簡略版) *ジャンルが分かりにくい物は筆者名の後に記す
Vol.1 No.1 1997年夏発行
極私的エヴァンゲリオンキャラ別インプレッション (火草涼)
最悪のシナリオ? (火草涼) -エヴァンゲリオン
Vol.2 No.1 1998年夏発行
エヴァンゲリオン再考(火草涼)
ウテナの世界設定を最終回だけで読み解く方法 (なす・ごーやー)
少女革命ウテナ-排泄、懐妊、転倒、受胎、殺害- (音澤健太)
lain-インターフェースとサイボーグの形態学- (音澤健太)
都市の様式-記号としての都市- (火草涼)
Vol.2 No.2 1998年冬発行
少女革命ウテナ-雑感 (火草涼)
アニメ・lain-世界、全てが接続された劇場 (音澤健太)
ブレンパワード-主語的有機体の叫び (音澤健太)
ジェネレイターガウルとDTエイトロン (火草涼)
Vol.3 No.1 1999年夏発行
『ガサラキ』のポリティカル・エコノミー (火草涼)
少女革命ウテナ・・・賛歌(音澤健太)
宇宙海賊ミト・・・B級の愉楽/まともな作品ないもんか・・・。 (音澤健太)
Vol.4No.1 2000年夏発行
『ギルティア』(hmp) (なす・ごーやー)
DALK・ママトト・PERSIOM (火草涼)
イマージュおよび聖化-富沢ひとし『ミルククローゼット』より- (音澤健太)
Vol.5 No.1 2001年夏発行
アニメのノベライズについて (火草涼)
黒田洋介特集 (火草涼)
アニメ・ノワールの黎明 (音澤健太)
零+弐 (都並響) -鋼鉄天使クルミ
Vol.6 No.1 2002年夏発行
『カウボーイビバップ劇場版 天国の扉』-夢・現実・テロ- (火草涼)
富沢ひとし エイリアン9とミルククローゼットを綜合して-エイリアン、サイボーグ、誤配可能性宇宙- (音澤健太)
ノベライズの書評 (火草涼)
Vol.6 No.2 2002年冬発行
ロビン -管理・テクノロジー・希望- (火草涼)
エイリアン9エミュレイターズ 断章 (音澤健太)
われわれは良き灰羽になれるか? -『灰羽連盟』- (火草涼)
TAMALA2010 なまなかアヴァンポップ (音澤健太)
Vol.7 No.1 2003年夏発行
ガンダムとは何か?-『機動戦士ガンダム』vs『機動戦士ガンダムSEED』- (火草涼)
キノの寓話的紀行学(キノの旅批評) (音澤健太)
『茄子 アンダルシアの夏』 -雑感- (火草涼)
Vol.7 No.2 2003年冬発行
『機動戦士ガンダムSEED』-遺伝子・アイデンティティー・戦争- (火草涼)
GUNSLINGER GIRL ほどよく冷たく、ささやかに幸福な身体たち (音澤健太)
Gundam SEED (都並響)
Vol.8 No.1 2004年夏発行
『マリア様がみてる』-規律権力と公共性- (火草涼)
『イノセンス』・魂についての使い古された論 (音澤健太)
Vol.8 No.2 2004年冬発行
『爆裂天使』-マルチチュードに向けて (火草涼)
戦闘宣言・「萌え」よ普遍なれ(『魔法少女リリカルなのは』より) (音澤健太)
ライトノベル2004・概況(どこが)「批評元年? いやいや、不作の年です。はい」 (音澤健太)
書評:『萌え単2 上』 (都並響)
Vol.9 No.1 2005年夏発行
『スターシップ・オペレーターズ』におけるメディアの政治学 (火草涼)
クラクラ・攪乱セックス&ジェンダー(ちゃお『モンスターキャンディー』論) (音澤健太)
ガンダムSEED DESTINY (都並響)
Vol.10 No.1 2006年夏発行
新たなる冒険へ-BLACK LAGOON- (火草涼)
予測不能のハルヒ帝国 (音澤健太)
MS IGLOO 一年戦争戦記 (都並響)
Vol.10 No.2 2006年冬発行
『奏光のストレイン』と『小公女』 (火草涼)
時をかける少女 思春期とカタルシスと純粋さ (音澤健太)
観察者と当事者 (都並響) -涼宮ハルヒの憂鬱
Vol.11 No.1 2007年夏発行
帝国と戦後の終わり-『コードギアス』、『零式』、『ヤクザガール・ミサイルハート』- (火草涼)
『おお振り』・似非バッテリー論 (音澤健太)
崩壊と再生-『魔法少女リリカルなのはStrikerS』 (都並響)
Vol.11 No.2 2007年冬発行
魔法少女の条件-『魔法少女リリカルなのはStrikerS』 (火草涼)
『電脳コイル』 思春期以前 (音澤健太)
廃駅と記憶の結節点-『ef - a tale of memories.』 (火草涼)
Vol.12 No.1 2008年夏発行
世界政府の作り方-『ガンダムOO』 (火草涼)
『俗・さよなら絶望先生』 (音澤健太)
恋と進路と選択と-『true tears』 (火草涼)
『SHI-NO -シノ-』:小特集 (火草涼・都並響)
Vol.12 No.2 2008年冬発行
『コードギアス』:新たな世界秩序へ (火草涼)
『喰霊 零』:もし特戦4課の過去が描かれていたら (音澤健太)
ライトノベルのアニメ化 (火草涼)
Vol.13 No.1 2009年冬発行
『宇宙をかける少女』-生政治とネットワーク (火草涼)
『シャングリ・ラ』-水蛭子と至高なるよりしろの明るみ (音澤健太)
『パズルの軌跡』機本伸 (都並響)
Vol.14 No.1 2010年冬発行
ゼロ年代アニメとは何だったのか (火草涼)
『神様のパラドックス』機本伸司 (都並響)
Vol.15 No.1 2011年夏発行
時間操作と並行世界 -『魔法少女まどか☆マギカ』と『Steins;Gate』- (火草涼)
『フラクタル』 日常とセカイへの疑義 (音澤健太)
『やさしいセカイのつくりかた』(竹葉久美子) (都並響)
Vol.15 No.2 2011年冬発行
『魔法少女まどか☆マギカ』とシステム改変の可能性 (火草涼)
『魔法少女まどか☆マギカ』-食人少女 (音澤健太)
雑感:『劇場版 けいおん!』 (火草涼)
『やさしいセカイのつくりかた』(竹葉久美子)  (都並響)
Vol.16 No.1 2012年
『氷菓』における「日常」の意味 (火草涼)
『ドットハック セカイの向こうに』 (都並響)
Vol.17 No.1 2013年夏発行
『PSYCHO-PASS』と『新世界より』-規律権力とアーキテクチャー (火草涼)
『レッドデータガール』-本格ファンタジーとしての位置づけ (音澤健太)
ボーカロイドとバーチャルアイドル (都並響) -初音ミク
Vol.17 No.2 2013年冬発行
「中二病」の秘密-『中二病でも恋がしたい!』を中心に (火草涼)
ベンヤミン的(?)劇場版まどマギ読解 (音澤健太)
バブルの面影-『ゴールデンタイム』と『ホワイトアルバム2』 (都並響)
Vol.18 No.1 2014年夏発行
「日常系」という謎 (火草涼)
高校戦車道の問題点と大洗女子学園が空けた風穴 (音澤健太)
もしアイドルがプロジェクトマネージャを任せられたら (都並響) -アイマス劇場版
書評:『やさしいセカイのつくりかた』(竹葉久美子) (都並響)
Vol.18No.2 2014年冬発行
日常・虚構・例外状態 (火草涼) クロスアンジュ、結城友奈は勇者である
『楽園追放』より アンジェラ・バルザックの潜勢力 (音澤健太)
Vol.19No.1 2015年夏発行
ユートピア・例外状態・ネオリベラリズム-『PSYCHO-PASS』と『攻殻機動隊』- (火草涼)
『ソラリス』の存在論的読解と思弁的実在論への批判的アプローチ (音澤健太)
過去から見た未来、未来から見た過去 (都並響)-マクロスプラス、攻殻機動隊
Vol.19No.2 2015年冬発行
学園異能バトル物の謎-『学戦都市アスタリスク』と『落第騎士の英雄譚』を巡って (火草涼)
『屍者の帝国』における魂の襞 (音澤健太)
Vol.20No.1 2016年夏発行
二十周年を記念して(火草涼)
ヱヴァンゲリヲン新劇場版の完結可能性について(火草涼)
『人工進化研究所紀要』総目次
Vol.20No.2 2016年冬発行
艦これ劇場版とやりなおしのモチーフ(火草涼)
思弁的実在論(音澤健太)
Vol.21No.1 2017年冬発行
『サクラクエスト』-町おこしと自分探し?-(火草涼)
『宝石の国』:初期サイバネティクスとライプニッツから「宝石」たちの生命論を酩酊気味に読み解いてみる(音澤健太)
『Just Because!』-取り込まれる都市、縮まる都市-(都並響)
Vol.22No.1 2018年夏発行
不安定な関係と将来~『リズと青い鳥』と『あさがおと加瀬さん。』(火草涼)
思弁的実在論から新しい唯物論および加速主義やフェミニズムなどに関する私的マッピング(音澤健太)
バンドリの楽曲の魅力(都並響)
Vo.22No.2 2018年冬発行
レトロな感覚・並行世界・過去改変-『あかねさす少女』(火草涼)
『serial experiments lain』20周年(音澤健太)
認識と意思(都並響) 青春ブタ野郎
Vol.23No.1 2019年夏発行
『YU-NO』と『STEINS;GATE』-九〇年代と一〇年代(火草涼)
『海獣の子供』-稀有壮大な神学を奏でた一大絵巻(音澤健太)
認識と意思、または、初期値と特異点(都並響) 青春ブタ野郎
Vol.23No.2 2019冬発行
2010年代のアニメ-回顧と展望(火草涼)
新しい実在論関連の翻訳状況など雑感(音澤健太)
空間と時間の直交性(都並響) 青春ブタ野郎
付録:目次(2010年~)

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『ストライクウィッチーズMemorial Episode いっしょだよ』佐伯昭志 [角川スニーカー文庫]

 アニメの位置エピソードをノベライズしたもの。一クールの真ん中辺の話なので、それほど、闘いがメインになっているわけではなく、どちらかと言えば日常的なものになっている。特別編として、アニメでは描かれなかったところも収められている。
タグ:佐伯昭志
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『STEINS;GATE0 -シュタインズ・ゲート ゼロ- 亡失流転のソリチュード 上』浜崎達也 [角川スニーカー文庫]

 TVアニメのノベライズ。この話自体は、既にアニメ化された本編の外伝になる。かなり雰囲気は暗いが、設定上、仕方ないであろう。それにヒロインは完全に紅莉栖になってしまっている。とはいえ、大体、忠実なノベライズで、下巻で完結している。アニメでは分かりにくいところも補完できるし、上手くまとまっている。
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『Fate/Requiem  1 「星巡る少年」』星空めてお [TYPE-MOON BOOKS]

 誰もが聖杯を持ち、サーヴァントを召喚できる都市で、主人公の少女だけが召喚できないが、あるサーヴァントの少年の少年と出会うところから始まる話。未来というか、『Fate/EXTELLA』に繋がるような感じの話である。というわけで、かなり設定も本編とは異なるが、やはりバトル物のになっている点は同じである。今回は割と導入という感じではあるが、続きに期待したい。
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『サイレントウィッチーズ スオムスいらん子中隊ReBOOT!』築地俊彦 [角川スニーカー文庫]

 ヤマグチノボルによる『スオムスいらん子中隊がんばる』シリーズのリライトになっている。元の作品よりは、ミリタリー寄りではあるし、その後の展開に合わせて調整はしているが、雰囲気はそんなに異ならない。既に2巻まで出ている。
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ライトノベルのベストのまとめ [ベスト]

毎年書いているライトノベルのベストが結構、貯まっていることに気付いたので、ここで、まとめというかリンク集を作ってみた。なお、新しい物から順に降順で書いている。

2018年
その1:https://maxim.blog.so-net.ne.jp/2019-01-02-13
その2:https://maxim.blog.so-net.ne.jp/2019-01-02-14
まとめ:https://maxim.blog.so-net.ne.jp/2019-01-02-15

2017年
その1:http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2018-01-02-2
その2:http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2018-01-02-3
まとめ:http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2018-01-02-4

2016年
その1: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2017-01-09
その2: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2017-01-09-1
まとめ: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2017-01-09-2

2015年
その1: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2016-01-03-4
その2: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2016-01-03-5
まとめ: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2016-01-03-6

2014年
その1: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2015-01-04
その2: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2015-01-04-1
その3: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2015-01-04-2

2013年
その1: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2014-01-03-10
その2: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2014-01-04

2012年
その1: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2013-01-05
その2: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2013-01-05-1

2011年
その1: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2012-01-04
その2: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2012-01-04-1

2010年
その1: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2011-01-02
その2: http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2011-01-02-1

2009年
http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2010-01-03

2008年
http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2009-01-01-1

2007年
http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2008-01-01

2006年
http://maxim.blog.so-net.ne.jp/2007-01-03

2005年以前はブログではなく、サイトに記していた。
1996年-2005年(一頁に収まっている)
http://www012.upp.so-net.ne.jp/maxim/JP25.HTM





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