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「幼馴染と転校生」 [同人活動]

*So-netのサイトからのサルベージ。

「幼馴染と転校生」

 「幼馴染」と「転校生」は小説やマンガなどによく現れるモチーフである。「幼馴染」と「転校生」というのは本来的には対立するものではないかもしれないが、私にとっては充分に対立する。それは「転校」すれば「幼馴染」とは別れなけれぱならないし、「転校」を繰返せば、「幼馴染」はもはや存在しなくなるからである。
 私は今まで何度となく「転校」ばかりしてきたので「幼馴染」というモチーフが小説やマンガに登場してくるたびに、何とも羨ましくも許せない気持ちになってしまう。「幼馴染」については色々と書きたいが、私には「幼馴染」というものは存在しないのでどういうものであるか、実態がよく分からない。ただ一つ言えることは、「幼馴染」というテーマはよく小説やマンガに現れるものであるから、重要なテーマであるらしいということである。
 「転校生」というのもまた、小説やマンガに登場する。しかし、個人的経験からすると「転校生」であるということはちっとも「格好良か」ったりはしないのである。確かに「転校生」というのは「転校」すると同時にある種の特権的地位を得る。しかし、そうはいってもそれは二、三ケ月後には消えてしまう。だから、かなりたっても相手は自分の名前を知っているが、こちらは相手の名前をよく知らないということになる。「転校生」であったと言うことは結局、卒業したりするまで影響するのであり、意識していなくてもふと思い知らされたりして、やはり、いつまでたってもどこか本当には馴染めないのである。
 そうすると、「転校」するということは辛いことでしかないのだろうか。そんなことはないと私は恩う。「転校」したことにより、心理的なトラウマのようなものが大きく、耐えられないで発狂したりする場合もあるようであるが、「転校」を繰り返したりすれぱ、いい加減、人間も精神的に強くなるようである。ここで強くなるというのは何を一言われても平気になるということだけではない。恐らく、新しい環境により早く適応できるということだろう。私自身がそうなったかどうかは白分でもよくわからないが、なんとなく自信はついたような気がする。
 「幼馴染」と「転校生」は普通の人にとっては、前者は当たり前で、それほど価値がないかもしれないし、後者は珍しく、時には、憧れの対象となるものかもしれないが、そのほうが価値が高いのであろう。しかし、私のようなものにとっては、反対に、「幼馴染」の方が目分にはいないという理由で価値が高く、つい憧れてしまうのである。もちろん、私にとっては「幼馴染み」というものの実態はよくわからないが、それでも、いいなあと恩ってしまうのである。そして、「転校生」というモチーフに対しては、自分の経験からすると実態は違うんだと叫ぴたくなるのである。

 SF-TAC発行 メトセトラ18(1993)より

コメント
文芸批評と言うよりは単なるエッセイである。何でこういうのを書いたかというと小説やコミックに良く出てくる「幼馴染み」というシチュエーションが許せなかっただけであろう。後半の方は負け惜しみと言うことになろう。大学のサークルの会誌に書いた物だが、サークルの方はほとんど潰れてしまった。


タグ:サルベージ
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